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特に今回思うのは、政府に対する役割部分。マスメディアは政府を監視する機能を果たしている。それは政府が政府にとって都合の悪いことを隠しがちで、それを明らかにすることで、それは国民の利益になると。であるから、マスメディアは国民にとって必要である。そういう論理がある。

で、その論理の発展形として、マスメディアは国民にとって必要であるから、政府はマスメディアへの情報提供に便宜をはかるべきであると。記者クラブって大事ですよね、定期的に会見を開くべきですよね、省庁は優先的に情報を出すべきですよねと。

しかしこういう論理構成であるなら、マスメディアは今回のケースで政府に実名の公開を求めるべきではなかったし、実名報道をすべきではなかった。何故ならば、実名の非公開を望んだのはご遺族であったから。ご遺族であり、所属企業の日揮が実名の非公開を望んだ。政府はその望みを支えただけにすぎない。

今回の実名報道には「政府を監視する役割」という大義名分はたたない。別に政府の横暴でもないし、独走でもない。これが「遺族の公開という要望に反して」非公開にしたり、逆に「遺族の非公開という要望に反して」公開にしたら話は違う。政府の行動に対してその是非を問う機能が必要になる。なぜ遺族の意向に反する行為をしたのか。それが問われるべきだけども、今回は意向通りなのだから、それが問われるケースではない。

今回のケースは、マスメディア自らが規定していたマスメディアとしてのあり方とか役割とは関係がない。政府が政府としてご遺族をかばった。それが非とされるなら、その論拠を示さねばならないのに、それが示されていない。

なぜ実名が必要なのか。実名報道が必要な理由は何か。そしてそれがこれまでのマスメディアとしての主張と自己矛盾していない根拠。あるいはご遺族の実名非公開より優先せなばならない理由は何か。

これを明らかにできないのであれば、そのメディアは今後「知る権利」とか「社会の木鐸」とか「政府を監視する役割」だとかを言わないほうがいい。それは一貫した主張ではなくて、都合の良いときだけに出てくる枕詞に過ぎないわけだし。

実名報道におけるマスメディアの自己定義 - (旧姓)タケルンバ卿日記 (via mcsgsym)

(元記事: gkojax (yaruoから))